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【シリーズ】おすすめの1冊『木曜日の子ども』重松 清

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シリーズ『おすすめの1冊』第55回です。
僕がおすすめする本や、話題の本などをご紹介していきます。

今日、ご紹介するのは重松清さんの「木曜日の子ども」。

目次

『木曜日の子ども』重松 清

 マザーグースの有名な歌
「月曜日の子どもは、かわいい顔」
「火曜日の子どもは、気品に満ちて」
「水曜日の子どもは、悲しいことがたくさん」
「木曜日の子どもは、遠くに行って」
「金曜日の子どもは、惚れっぽくて気前がよくて」
「土曜日の子どもは、働きづめで」
「日曜日の子どもは、かわいくて、明るくて、朗らかで、元気いっぱい」

あらすじ

 7年前、旭ヶ丘中学校 2年1組の給食にワルキューレが盛られた。9名死亡。1人を除いてみんな重傷を負った。唯一助かった上田祐太郎は少年院に行った。
 
 清水は、42歳で結婚し、いきなり中学2年生の晴彦の父親となった。結婚も子育ても初めてのこと。まして中学生との距離感なんて全く分からない。晴彦は以前通っていた中学校でいじめにあっていた。しかも、元父親からの虐待もあった。そんな晴彦のために、父親として何ができるのか。父親とは何なのだろうか。考える日々。
 晴彦は、再婚を受け入れようとしているようだ。でも晴彦の笑顔には、違和感が募る。完璧すぎるのだ。慣れれば、親子になれるのだろうか。

 だが、状況はどんどん悪くなる。
上田祐太郎が戻ってきたという噂。全国で広がる、妙なブーム。隣の大谷さんの急性心不全による死亡。晴彦は毎晩「高木君」の家に遊びに行く。そういえば、上田の親友も「高木」だった気がする。偶然か。
 悪い予感。逃げ出したい。結婚前に思い描いていた家族像とは大きくかけ離れていく。そう、離婚してしまえばいい。「そして自分は、自分を嫌いになっていくだろう。」
 何もわからない。晴彦のことも、これからどうすればよいのかも。事件のことも。結局なぜ上田はあんな事件を引き起こしたのか。わからないから、理由を探す。怖いから理由を探し、無理やり納得する。

いじめ、虐待、自殺 「命は大切にしましょう。という言葉の無意味さ」

 「世界の終わりは、死ぬことで見られる。人の死はその人の世界が終わる、ということ。自分の世界は自分が死ぬことで見ることができる。」と上田は言う。でも上田の言うことは、やはりおかしいと思う。弱った子どもの心に漬け込み、自分の欲望を満たしているだけだ。父親に虐待を受けていた摩耶、転校してもなお、いじめを受けていた晴彦。彼らはすでに、木曜日の子どもで遠くに行ってしまっていたのかもしれない。

 「命を捨てたいわけじゃない。でも、明日をどうしても迎えたくないと思ったら……しょうがないじゃないですか、死ぬしか。」

 親を心配させたくない。学校は行きたくないけど、行った方がよい。もしくは、逃げ場所であるはずの家で、逃げ回らなければならない。けれども、結局逃げられない。そんながんじがらめの状況では、選択肢は1つしかないのかもしれない。子どもだから視野が狭いのか。でも子どもだから逃げ道も限られている。しかも、逃げ道がない中で相手は、致命的なダメージを与えてこない。ずっとつらいまま何年も続くなら、その決断はもうしょうがないのかもしれない。

重松清の描く、もう一つの話

 重松清の短編小説集『みぞれ』の『拝啓ノストラダムス様』では、私立の進学校に進学した少女は突然倒れて救急車で運ばれる。
 少女の持っている瓶の中には、300個以上のカプセルが入っている。その大半は胃薬だが、3つで致死量にあたる睡眠薬も入っている。もしかしたら、青酸カリも入っているかもしれないが、それはわからない。ルールは1回に3つのカプセルを飲むこと。3つとも睡眠薬だったら「当たり」。もし青酸カリが入っていれば1つでも「当たり」。今回は、2/3が睡眠薬だったのだかもしれない。これは、ゲームだと幼馴染の少年に明かす。
 退院した少女は、元気に学校に通い始めた。でも、瓶の薬は減り続ける。少年はどうすればいいのかわからない。
 

理屈、理想よりも

 清水も幼馴染の少年もカッコ悪い場面がたくさん出てくる。問題から逃げるからだ。でも、カッコをつけて勘違いして、逃げて。でも、やっぱり気になって、何もできないのに首を突っ込んでいく。2人とも、不器用なのになんとかできないのかと、一生懸命、首を突っ込む。それで、結局大したことはできない。
 でも、晴彦も少女も愛に触れることができたのかもしれない。

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