シリーズ『おすすめの1冊』番外編です。
4月のおすすめの1冊は重松清さんの4作品『半パン・デイズ』『十字架』『空より高く』『トワイライト』をご紹介しました。
今回は、重松清の作品に対する思いや4作品への思いをお伝えします。
重松清の作品に対する思いや4作品への思い
4作品の感想
大人は新生児から中学生を「こども」とひとくくりにする。それが、とっても違和感だ。
小学生のひろしの変化はやはり当然であるというか、小1と小6じゃ感じることも考えることも違ってくるに決まっている。その必然的な変化の中で現れる彼らの葛藤は「もう子どもじゃないんだ」とう思いを徐々に強くしていく。ある意味で強制的に。
真田裕は、苦しんで苦しんで、ずっとフジシュンが付きまとっていて重い十字架を背負って歩いてきた。遺書に名前を書かれただけで、フジシュンを、同級生を、見殺しにしたということを受け止めざるを得なくなってしまった。でも、フジシュンの苦しみはどうだったんだろう。死ぬ前に何を思っていたのだろう。そんなことを考えるようになった。いじめを止めなかった罪を背負うことでフジシュンを忘れないでいられる。スクールカーストもあり、自分がいじめられないことに必死で、他人がいじめられても見ないふり。中学生ってそんなもんだと思う。だから、真田は十字架を受け入れた。
でもひろしなら、止められただろうか。やはり、傍観者となっていたのだろうか。
人生のトワイライトで真田やひろし、ネタローはどの時代を思い出して浸るのだろうか。誰を思い出し、どの場面を悔やんでどの場面でにこっと笑うのだろうか。真田がフジシュンを忘れることと、ヒロシやネタローが友だちを忘れることの意味は全く違うかもしれない。どちらにしても、あの頃の出来事、あの頃の友だちが一番楽しかったとか、ひどかったとか回想している暇は誰にもないと思う。もちろん克也も真田も同じだ。今、生きているその時、その場で起こっていることに必死にならないといけないと思う。
ネタローは最後に祭りをやって今をきちんと生き始めた。よっさんとひろしは、ずっと今を生きている。小学生って必死(笑)。だから、真田がフジシュンを忘れないということは、今を生きる上で意味のあることだと思う。フジシュンは、悔しかっただろうな。本当に。
彼らはきっと、前をみて歩ける大人になっていることだろう。
重松清の作品を読んできて思うこと
重松清の作品は本当に大好きで、始まりは「エイジ」という作品でした。重松さんの作品の登場人物はたくさんの葛藤をしていく。その葛藤がとても共感できたのです。例えば、何が正しいのかわかっているけど行動できない葛藤とか、学校の先生に抱く違和感とか。その描写がぼくにとって共感の嵐で何冊も読んで、しつこいくらいに紹介しているわけです。大人になるまでの自分を客観視するとともに懐かしむことができる。でも、エイジみたいに同級生に通り魔はいなかったし、真田のように同級生に自殺した人もいない。まして、自分の知り合いで自殺するなんてほとんど経験する人はいないでしょう。そこに、「じぶんならどうするか」という疑似体験が加わる。いろんな人がいることに気づく。
でも、実際に同級生がいじめていたら僕は真田と同じように見殺しにしていたと認めなくちゃいけない程、利己的なのです。そして、皆さんもそうでしょ?と言わずにはいられないほど、ずるいのです。
共感することが多いと書きましたが、都合の悪いことは物語のこととして受け取ってしまう癖もあります。「自分が同じ立場なら」という想像は自分を美化してしまう危険もあると、ぼくは気付き始めています。いじめは止められないだろうし、ネタローみたいに祭りを主催しようなんて思えません。でも、僕なりに一生懸命な部分もあるのでちょっとづつ成長したいなと思います。
僕らは経験してきたことをぼんやり思い出すことができても鮮明に覚えていることは本当にごくわずかだと思います。けれども、経験してきたから、今があるなあ、とはなんとなく感じることができます。
この4月に紹介した4作品を読みながら、当時の自分や友だち、先生のことを思い出すかもしれません。そして、思い出せたなら人にやさしくなれると思っています。前に進むために一度立ち止まって、エネルギーを溜められる本に出合ってほしい。ゆっくりと、ひろし、真田裕、ネタロー、克也と一緒に自分を振り返る時間にしてほしい。
そんな思いで、小学生、中学生、高校生、40歳手前、を紹介しました。
大好きな重松作品。これからも読み続けて、皆さんに「ぜひ読んで欲しい!」と思えば、これからもがジェスタにあがっていると思います。